もうひとつのあしあと。
~2020年 徒然日記。
2020年~ 旅行忘備録
雷句誠さんの訴訟
ちょっと遅めの話題ですが;思うところがあったので。
ご存知の方が多いと思いますが、
今回「金色のガッシュ!」を少年サンデーに連載されていた
雷句誠さんが訴訟を起こしましたよね。
私は別に「ふーん」という感じで特に何も感慨をもたなかったのですが、
とあるサイト様でとりあげられていた、
雷句さんのブログを見てちょいとカルチャーショックを受けました。
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html
なんというか……すごいぜ小学館……
そ、そこまで腐敗していたのか……?
雷句さんは漫画のあとがき等を見ても、
とてもいい方だということが分かっていたので、
なんで今回こういうことをしたのか、
ひっかかっていた点はあったのですよね。
私は部外者にもほどがある部外者なので、なんともいえませんが、
同じ小学館の漫画家でいらっしゃった新條まゆさんのブログを見ると、
なんつーか、それが全てではないけれど、
真実であるということが分かって愕然としました。↓新條さんのブログ
http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html
>人間は言葉と言うコミュニケーションツールがあります。
>そしてそれ以上に、もっと高度な言葉を超えたツールも持っているものです。
>相手の表情を読んだり、ちょっとした言葉の抑揚で、気持ちの変化を察したり。
>だから、同じ言葉を発しても、「自分のために怒ってくれてる」というのと
>「見下されてる」という感情が生まれるわけです。
>それらを駆使して、相手に合わせるということが出来るのです。
>相手に合わせるという行為を省いてしまっては、
>コミュニケーションもなにも、あったものじゃないです。
>そのためにはまず、何回も会って、話すことです。
↑ブログからの抜粋
確かに本当にそうだな、と思うのです。
これは漫画家と編集者によらず、どこにいってもそうでしょうね。
全ては人間関係が基本。
育った状況も、性格も、価値観も違う人間が、協力して生きていくためには、
相手を尊重することが必要。
自分と違うからといって、「何この人」と邪険にしたり、蔑んだり、見下していたら、
真の意味で協力できないですよね。
尊重するということは、究極的にいうと、
その人がいることを、容認することのように思います。
しかし、子供に夢を与える場所がこんな風になっているとしたら、
これほどヤなことはないと思いますね。
うだうだ。
私事がはさまれるので、こちらに転記してみました。
しかし、自分で書いておいてなんですが、人を尊重する……というか容認するって
凄く難しいことだと思います。
苦手な相手は特に。
苦手な相手とどのように、折り合いをつけていくか……というのほど
難しいことはないように思います。
わしも仕事場で、ある方に嫌われてからというもの、
もう、なんつーか、「あなたはいても邪魔よ」的な発言を影にヒナタに聞かされて
神経がすりへった思いがありますからね。
まあ、私の態度もよくなかったとは思いますけども。
(なんか怖がってたのが如実に分かるような態度とってた;)
実質、不器用だし、物忘れが激しいし、わしの方に非はあるんですがね。
>そのためにはまず、何回も会って、話すことです。
新條さんがいわれていたこの言葉。ほんとにそうだなと思います。
わしも、ある方と話そうとしなかったですからね。
なんつーか話しても無駄だと思ってた;
だから、話す努力をしなかった。
まあ……いろいろいっぱいいっぱいすぎていたところもありますが、
どうして、そういう風に言うんですか、って言ってみてもよかったのかもしれないな、と
ちょっと思うようになりました。
わし、なんでも内側にこめてためちゃう方なので……
お外に出した方が、相手には伝わるんですよね。
寧ろ出さないとわからない。そういう人もいるし……
パターンが多すぎて、有効な方法というのがないのが人間関係ってものなのだなぁと。
なんつーか、つくづく人間って難しいと思います。
考えすぎると、世捨て人になりたくなります。(マテ)
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