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 自分がどうしたいかだ

10月頃、悪夢を連続して見ていた。友達に手ひどく裏切られる夢だった。
正直、友達に裏切られるのは幾度もあったのだけど、
現在の友達は十数年の付き合いであるのと、たくさんいい思い出もあるので
気分は最悪であった。

どうしてそういう夢を見たのかというと、まあ多分恐らく、また友達と呼ばれる人間に裏切られるのではないかという思いが如実に強くなったのもあるだろう。
以前、いつぞやいわれた「他の人はもういい、貴方だけいわればいいや」と言われたのも影響されているかもしれない。
精神不安定だったと後で謝られたのだが、この言葉は私の心にかなり影を落とした。
つまり、裏を返せばそういう理由で『私』も切り捨てられる可能性があるからだ。

ただ、今考えてみると、
そこで重要視していたのは、「相手が自分をどう思っているか」ということだったように思う。
「相手が自分をどう思っているか」これは、自分ではどうしようもならないものだ。
だって相手がどう思うかは相手次第なわけだし。
私ではコントロールできない。
それで随分悶々とした日を過ごした。

そこで考えを変えることにした。
相手がどう思っているかは分からない。
たから、私が相手をどう思っているか、相手とどうなりたいかを考える。
そして、
自分ができる方法でそれを伝える、行動することだ。と。
ただし、その時に無理をしてはいけない。
自分のできる方法、無理のない方法で行動することが重要だ。
それで相手が離れていくなら仕方ない。見送るだけなのだと。

そう思うと、悪夢を見なくなり、不安も消えた。
心持次第で変わるもんだな、と今は少し驚いている。

「自分がどうしたいか」という行動指針は方位磁石のようなものだ。
すぐに、周囲の環境に目を向けてしまいがちだが、
この方位磁石を定期的に見直さなければならないなと最近思っている。
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 ツイッターは疲れる

ツイッター(もうXになってしまったか)は疲れる。
何が疲れるかというと、言いたいことが言えないので、疲れるのである。

私が基本的に難儀な人間なので、これが流れてきたらヤダな、ということを自分も言わないようしているのだが、ところがどっこい。もうこれが多すぎて今はもうグチ禁止、マイナス思考禁止、アレモダメこれもダメ禁制禁制ご禁制になってしまい、ほのぼのな話題とか、ちいかわちゃんとか、あれがいいとかそういうプラス思考のみの発言のみに限定されるように自分で縛ってしまい、結果なんか……書きたいこと全然……書けてないな……になってしまったのである。
いやこれある意味縛りプレイなので、自分が悪いんですよ……。誰のせいでもないんですけどね……。

でももとに戻そうかと思っても、やっぱりこれは違うんじゃない?となって辞めてしまったり、書いても消したり、なんか謎の自意識過剰侍になってる。
なぜなのか~それはな~私もそういうツイート見るの嫌だからだよ!
"いい"より"嫌"が強すぎるんですよね。コマッタモンダである。

そしてそういう時にふらっとブログを書きにきたりするんだ。
誰も見てないだろうからね!
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 胸痛日記

7/5くらいから胸痛がはじまり、いまもまだ違和感。
緩和はしていっているんですがね。。。(´・ω・`)?ナンダロ?
心臓の上の膜…?みたいなところが痛いというか。。。
乳関係?それとも胃?心臓かとも思ったけど違う気もする。。。
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 誰からも求められていないというのは事実である

この内容はこっちにしか書けないな~と思うのでこちらに。

「私の絵なんて誰も求めてないんだ……」という言葉に対して
「いや、あなたの絵を求めている人は必ずいる!」みたいな感動漫画が定期的に回覧される。
私はそれを見るたびに「そうだね、そうだといいけどね」という気持ちになる。
というのも、それは「そうあってほしい、という」「願い」であり、現実は、その通り、
「誰も求めていない」が正解だと思っているからだ。

FGOの言峰(ラスプーチン)のセリフに「願望あっての人の世だ。努力すれば願いは叶うという願いこそ、もっとも強いものではないかな?」というのがあって、大いに膝を打ったのだが、
この件に関しても同じことが言える。
そう、あくまでも「願い」なのである。そうあってほしい、という「願い」に他ならない。

「いや、そうじゃない!私はこの人の絵が大好きだ!」と反論されることもあるだろう。それはそれでいいと思う。
だが、その人の絵がいざなくなったところで、一生悲しみ続けるのか?その人の絵がなくなったから、もう他の絵は見ない、という選択ができるのか?というと答えは100%NOだろう。
「あの人の作品好きだったね」そう言って、過去のものにして、新しいものに夢中になるはずである。それが人だ。人の心なのだ。

どんなに有名なものであれ、語り継ぐものがなければ、歴史の彼方へと消え失せる。
手塚治虫の漫画や昔のレジェンドといえる漫画を、今の10代の人間はどのくらいの人が好きなのだろう。好きな人はいるかもしれないが、かなり少ないはずだ。

絵や作品はいつか消えるものだと思う。ただ、運がよければ、好きな人が語り継いでくれるかもしれない。
その程度のものなのだ。どんなに立派で有名だった作品でも、残るかどうかはギャンブルである。

ゆえに答えは「誰からも求められていない」のが事実なのだ。
そこで一番大事になってくるのは、「自分が描きたいと思っているかどうか」なのだと思う。
人から求められることではなく、自分自身が描きたいかと思うかどうか。
絵を描く、作品を描くことで一番大事なものは、自分が描きたいという気持ちをいかに持ち続けるかだと思う。
誰からも求められていないからこそ、自分が納得できるものを描き続けたい、と、そう願うのだ。
これもまた願いだけれど、他人を介さない分、叶えられる願いであると私は思う。






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 いい意味で、期待をしない。

年末になるとブログに戻ってくる。
生長すると同じ川に戻ってくる鮭かな?
年末は年の瀬だし、何かを考えることが多くなるのかもしれない。

久しぶりに2020年の日記を読んでみたが、今の状況と何一つ変わらないことに気付いて苦笑している。まあそれだけ変化がない、ということだろうか。
少なからず変化はあったりするのだけど、大局的に変わりないのは違いない。

最近はいい意味で、人に期待をしない、ということに重きをおいてきた成果が出ているように思う。いや、こういったあとでなにか変わるかもしれないので言い切ることはできないけど。

人に期待しない、というのは言い方が適切でないな。
的確な表現としては、「人が自分の思い通りになる期待をしない」ということ。
褒めてくれたから次も褒めてくれるとは限らない、
次も見ますね、と言ってくれた人が、次を見てくれるとは限らない、みたいな。
いやまあ、悪口を言ってきた人が次は悪口を言わない、ということは考えられないので、
なんというか、プラスが続くわけではない、というような、どちらかというとマイナス思考の考えではあるのだけど。

でもこの気持ちがあるのとないのとでは段違いに心の平穏が違う。
いや、全くない訳ではない。瞬間的には常にあるし、完全に拭い去ることはできないだろう。
だけど、これを言い聞かせる、ということにより、
この気持ちに『なる』ように調整する、ということはできるように思う。
人の心は移ろうもので、絶対がない。
それは自分を見ても十分わかることだ。
今日好きだったものが明日も好きかなんて、自分自身にも分からない。
それくらい、不確かな心で生きているのだ。あなたも、私も。
だから絶対不変なものを、人間は求めるのだろう。
ないものを追い求める…ロマン、なのだろうか。

それを私は創作に求めている。絶対不変を創作に投影することにより、
絶対変化のこの世を生き続けて居られるのである。
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たふあ るるく
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